「東洋の魔女」メンバーや監督の現在と当時の軌跡!

1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーボール代表チーム「東洋の魔女」。

当時の大阪維新会社「日紡貝塚」の実業団チームを母体として結成されました。

当時のメンバーや監督は現在何をされているのでしょうか。

また当時どのような軌跡が起こっていたのか「東洋の魔女」について紹介していきます。

この記事でわかること
  • 「東洋の魔女」とは?
  • 「東洋の魔女」と呼ばれた理由
  • 「東洋の魔女」メンバー
  • 「東洋の魔女」メンバーや監督の現在
  • 「東洋の魔女」当時の軌跡
  • 世界最強チームに成長
  • 公式戦脅威の連勝記録
  • 1964年東京オリンピック女子バレーボール金メダル獲得
  • テレビ中継視聴率85%以上
  • バレーボールブーム

気になるところへ目次から飛べます。

目次

「東洋の魔女」とは?

「東洋の魔女」とは?ご存じない方にもわかりやすく説明いたします!

「東洋の魔女」とは?

1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーボール代表チームの愛称が「東洋の魔女」です。

1964年東京オリンピック。

日本女子バレーボールの代表チーム。

その当時の日本代表は大阪の維新会社「日紡貝塚」(にっぽうかいずか)の実業団チームを母体として結成されていました。

監督を務めたのは厳しい指導で有名な大松博文(おおまつ ひろぶみ)さん。

大松さんが監督を務めたバレーボールチームは回転レシーブなど画期的な技術を生み出しました。

驚異的な粘り強さと機動力を発揮し金メダルを獲得。

昭和30年代に活躍した日本女子バレーボール代表チームの愛称が「東洋の魔女」でした。

「東洋の魔女」と呼ばれた理由

「東洋の魔女」と呼ばれた理由は海外メディアが「東洋の魔女」と称したからです。

日本女子バレーボール代表はヨーロッパ遠征の時に圧倒的な強さをみせました。

魔法のように強いどんなボールも拾う

経緯を込めて旧ソ連を破った際に海外メディアが「Oriental Witches 」と称したのです。

「Oriental Witches 」は日本語にすると「東洋の魔女」という意味。

そうして日本でも「東洋の魔女」と呼ばれるようになりまなったのです。

「東洋の魔女」メンバー

「東洋の魔女」メンバーを調査しました。

一覧表にして紹介します。

出典:日本経済新聞

1964年東京オリンピック女子バレーボール日本代表、金メダルを獲得した出場選手はリスト内の12名でした。

名前ポジション所属チーム
大松 博文監督
川西 昌枝(かわにし まさえ)
コーチ兼主将
セッター・センター日紡貝塚
宮本 恵美子(みやもと えみこ)ライト日紡貝塚
谷田 絹子(たにだ きぬこ)レフト日紡貝塚
半田 百合子(はんだ ゆりこ)レフト・ライト日紡貝塚
松村 好子(まつむら よしこ)レフト日紡貝塚
磯部 サタ(いそべ さた)レフト日紡貝塚
松村 勝美(まつむら かつみ)セッター日紡貝塚
篠崎 洋子(しのざき ようこ)レフト日紡貝塚
佐々木 節子(ささき せつこ)レフト日紡貝塚
藤本 佑子(ふじもと ゆうこ)レシーバー日紡貝塚
近藤 雅子(こんどう まさこ)レフト倉紡倉敷
渋木 綾乃(しぶき あやの)レフトヤシカ

「東洋の魔女」メンバーや監督の現在

「東洋の魔女」メンバーや監督の現在を調査してみました。

現在のメンバーや監督について全員についての情報は揃っていませんでした。

当時大活躍をおさめた「東洋の魔女」のメンバーや監督は在命の方々は80代半ば前後になっておられます。

正確な現在の情報はありませんが、選手引退後もママさんバレーの指導。

公演講師を務めたりと幅広い活躍をしていたメンバーもいます。

家庭に入り、主婦業や介護中心の生活を送るメンバーもいたとの情報がありました。

残念ながら逝去したメンバーの名前も確認できました。

厳しい監督で知られた、大松博文さんは57歳という若さで心筋梗塞によって亡くなっておられます。

「東洋の魔女」当時の軌跡

「東洋の魔女」は当時どのような軌跡をおこしたのかまとめてみました。

「東洋の魔女」の軌跡
  • 世界最強チームに成長
  • 公式戦脅威の連勝記録
  • 1964年東京オリンピック女子バレーボール金メダル獲得
  • テレビ中継視聴率85%以上
  • バレーボールブーム

世界最強チームに成長

海外メディアから「Orental Witches」東洋の魔女と呼ばれる。

1960年代初頭に世界の女子バレーを独占していた旧ソ連。

そんな中、日本は徹底した練習、独自の戦術、地道な努力で1962年世界選手権でソ連を破ります。

日本初の世界一を達成し、世界中から注目を集めました。

公式戦脅威の連勝記録

日本女子258連勝という驚異的な記録!

東京五輪前後、「東洋の魔女」は258連勝(非公式戦含む)。

驚異的な記録をたたき出し、負けない魔女軍団が世界に衝撃を与えました。

1964年東京オリンピック女子バレーボール金メダル獲得

日本で初めて開催されたオリンピックの新協議で金メダル獲得しました。

日本は決勝で旧ソ連と対決することに。

セットカウント3-0のストレート勝ち!

見事みごと金メダルを獲得し、世界を驚かせました。

テレビ中継視聴率85%以上

東京オリンピックの試合中継の視聴率は85%をこえました。

試合中継の視聴率は85%を越えました。

日本テレビの史で最高レベルともいわれています。

国民がテレビの前で「東洋の魔女」を見守り、応援しました。

バレーボールブーム

日本でバレーボールブームが巻き起こりました。

「東洋の魔女」の著しい活躍をみた日本国民の間でバレーボールブームに。

各地に「ママさんバレー」が広まりスポーツ文化として定着。

この当時「東洋の魔女」の活躍は高度経済成長の象徴ともいわれているそうですよ。

まとめ

1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーボール代表チーム「東洋の魔女」について紹介しました。

「東洋の魔女」とは?

1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーボール代表チームの愛称が「東洋の魔女」です。

「東洋の魔女」メンバー

名前
川西 昌枝(かわにし まさえ)
コーチ兼主将
宮本 恵美子(みやもと えみこ)
谷田 絹子(たにだ きぬこ)
半田 百合子(はんだ ゆりこ)
松村 好子(まつむら よしこ)
磯部 サタ(いそべ さた)
松村 勝美(まつむら かつみ)
篠崎 洋子(しのざき ようこ)
佐々木 節子(ささき せつこ)
藤本 佑子(ふじもと ゆうこ)
近藤 雅子(こんどう まさこ)
渋木 綾乃(しぶき あやの)
監督:監督:大松 博文

「東洋の魔女」メンバーや監督の現在

現在のメンバーや監督について全員についての情報は揃っていませんでした。

「東洋の魔女」当時の軌跡

  • 世界最強チームに成長
  • 公式戦脅威の連勝記録
  • 1964年東京オリンピック女子バレーボール金メダル獲得
  • テレビ中継視聴率85%以上
  • バレーボールブーム

最後まで読んでいただきありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次